複式簿記
 教養を得たいという動機の目的が、たとえばイノベーションの創出やビジネス倫理の実践だとして、歴史を遡る方向で簿記(book keeping)を考えてみるとする。その際に、メタエンジニアリングの方法論の概念図にある、「専門領域に分化された科学技術(人文科学、社会科学を含む)と芸術の諸領域」を俯瞰的に見る形を意識したとする。
 イノベーションの目的は社会的価値の創出であり、会社はそれを利益の創出により立証する。利益創出を説明するために用いられるのが会社の会計(accounting)である。その説明相手は誰か。株主である。では株主とは誰であろうか。株式を持つ者である。歴史的には株式を持つ者は、利益の分配(配当)を期待して出資する者であった。それをここでは一般株主と呼ぼう。現在は株主が一般株主だけではなくなった。会社自体をもしくは会社の行う事業を売買することによって、利益を得ようとする者が株主に加わった。それを投機家と呼ぼう。一般株主+投機家=株主である。
 投機家の関心は、会社なりその事業なりを売買したとき、いくらで売買できるかである。そこで出てきたのが、簿価による会計ではなく、時価による会計である。例えば会社が土地や株式を持っていたとして、帳簿上の取得価格ではなく、現在価格で会社の状況を把握しようとする。これから得られるであろう利益を、時価や為替の変動差益も加えた包括利益によって認識しようとする。これは発生主義や実現主義といった会計の基本理念をも変え、予測的要素が入ってきたことになる。それは本来、会計の持つべき特質である信頼性を揺るがす問題であり、会計はいかにあるべきかというビジネス倫理、会計倫理に直結する問題である。
 株式市場の動きを見てみよう。会計不正に端を発した経営危機にあえぎ、曙光が見え始めた東芝は、投機家から見れば魅力的な投資候補の一つと見えるのではないか。2017年3月末の株主構成は4割弱だったのに対し、2018年3月末はそれが7割になった7
 さて、一般株主の期待は、会社が継続して利益を出し、配当を継続することである。一般株主に対して、会社の過去の姿を説明するものが簿記である8。複式簿記ではフローとストックの二面から損益計算を行う。フローの面からの計算結果が損益計算書(P/L)であり、ストックの面からの計算結果が貸借対照表(B/S)である。損益計算書で計算しても貸借対照表で計算しても利益は一致するので、計算された利益金額に高い信頼性が得られる。株主は高い信頼性を持った利益金額から配当を受け取ることができる。
 しかし複式簿記だけでは、利益が出ているのに設備投資しようにも現金がないとか、はなはだしくは黒字のまま倒産してしまうという事態を認識することができない。今現在、使えるお金がどれだけあるかの把握が重要になる。そのために制度化されたのが、キャッシュフロー計算書である9 。一会計期間における企業のキャッシュ(現金+現金同等物)の出と入りを捉え、その流れを営業活動と投資活動と財務活動に分けて表示する。

  国家間の重商主義競争を背景とする簿記から会計への進化(未完)
  複式簿記の考え方と構成(未完)

 ゾンバルトは次のように言った10
 『資本主義の発達に対する複式簿記の意義はいくら強調しても強調し過ぎることはない。当時の教科書は、簿記を「人間精神の発明した最も美しきものの一つ」と書いているが、たしかに複式簿記はガリレイやニュウトンの体系と同じ精神から生まれたのである。これによって明確な利潤が観念できるようになり、抽象的な利潤の観念は資本概念をはじめて可能ならしめたのだ。そうして固定資本とか生産費の概念が生まれ、企業の合理化の道を準備したのだ。簿記組織によって営業の独立性が明確に意識される』
 ゲーテは次のように言った11
 『真の商人の精神ほど広い精神、広くなくてはならない精神を、ぼくはほかに知らないね。商売をやってゆくのに、広い視野をあたえてくれるのは、複式簿記による整理だ。整理されていればいつでも全体が見渡される。細かしいことでまごまごする必要がなくなる。複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が産んだ最高の発明の一つだね。立派な経営者は誰でも、経営に複式簿記を取り入れるべきなんだ』世界最初の簿記書は1494年に初版が出された『スンマ』である。数学者(僧侶、大学教授)のルカ・パチョーリ(1445 - 1517)により、ヴェネチアで上梓された。ヨハネス・グーテンベルック(1398?- 1468)は『スンマ』を活版印刷によって出版した 12

(大来)




7
日本経済新聞2018年6月2日朝刊
8
現在に至る複式簿記の端緒は13世紀初頭 のイタリアにあるという見方が一般的であろう。
9 欧米では1980年代後半から90年代初めにかけて、日本では2000年3月期から大企業で作成が義務付けられた。
10 ゾンバルト(Werner Sombart、1863~1941、ドイツの社会・経済学者)木村元一著「ゾンバルト 近代資本主義」1949.1 春秋社 pp.152
11 ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe (1749-1832)「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」 (山崎章甫訳、岩波文庫 2001.1 上巻pp.55)。
12 正式の書名は『算術、幾何、比および比例総覧(Summa de Arithmetica, geometrica, Proportioni et proportionalita)』、渡邉泉「会計学の誕生」、p.60